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豊川(とよがわ)コース



歩行距離 :  420m
所要時間 :   5分
豊川の河岸段丘と清水
豊川の河岸段丘と清水
豊川は全国有数の水質を保ち、山間渓谷部を急勾配で下った後、豊橋平野で蛇行を繰り返しながら、三河湾へ注ぎます。豊川市のある中流部では河岸段丘が発達し、下部から清水がこんこんと湧き出しています。段丘崖から貝塚や石器が出土することから、古くから周辺が移住地となって、清水は飲料水や灌漑用水となっていました。
歩行距離 : 2300m
所要時間 :  28分
豊川用水路ゲート

豊川用水路ゲート
豊川は、かつてたびたび洪水を起こし、水害で流域に住む人々を苦しめてきました。そこで、豊川市行明町・柑子町から豊橋市前芝町へ通じる全長6.6qの放水路が計画され、昭和18年に着手されました。しかし、戦争の拡大によってはとんど進展せず、ようやく昭和40年に完成し、永年の水害に苦しみから解放されました。
歩行距離 :  60m
所要時間 :   1分
羽衣の松
羽衣の松
豊川と豊川放水路の分岐付近にあります。「その昔、一人の天女が豊川で水浴びをしていたときに、通りかかった若者が岸辺の松にかけられた羽衣を持ち帰ってしまった。天女は、返してもらうために若者と結婚し、子供も生まれ幸せな毎日を送っていたが、ある日羽衣を見につけて天に帰ってしまった」という伝説が残っています。
歩行距離 : 1900m
所要時間 :  23分
霞堤

霞堤
安土桃山時代の吉田城主池田輝政が造らせたといわれてます。堤防にわざと「差し口」という切れ目をつくり、その背後にもう一つの堤防(霞堤)をつくり、川が増水するとそこから遊水池に水を流し込み洪水を防ぎました。また、この辺りでは、厳しかった水害の名残りとして、水屋と呼ばれる高い石垣の上に建てられた家屋が見られます。
歩行距離 : 1800m
所要時間 :  22分
当古橋公園
当古橋公園
当古の渡しは、代々当古の庄屋を勤めていた中山家が慶長年中(1596〜1614)から渡船の御用を任ぜられたことにより始まりました。中山家の屋敷跡は現在は公園となっていて、「中山家旧跡」の説明板と「中山家と当古の渡し」の碑や、船をイメージした遊具があります。
歩行距離 :  300m
所要時間 :   4分
当古の渡し跡(当古橋)

当古の渡し跡(当古橋)
本坂道を通って浜松方面と岡崎方面を行き来するときに豊川を渡すのが、当古の渡しです。昭和61年に竣工した新当古橋の上流左岸に堤防から川へ降りる道があり、この先が当古の渡しのあった場所です。運営は、中山家、当古村、愛知県と変わり、昭和9年にアーチ式の当古橋が架けられるまで続いていました。
歩行距離 :  220m
所要時間 :   3分
本坂道(姫街道)
本坂道(姫街道)
姫街道とも呼ばれ、御油の追分で東海道を分かれ、八幡、諏訪、豊川を経て当古町に至り、豊川を渡り、本坂峠を越して浜名湖北岸を通り、見腑街道です。船着場から続く旧道は、家並みが続き、狭い道に船頭宿の名残である格子戸造りの家々が見えます。

歩行距離 : 2700m
所要時間 :  31分





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