豊川市観光協会HOMEへ
牛久保の町コース



歩行距離 :  500m
所要時間 :   6分
今川義元公墓所(大聖寺)
今川義元公墓所(大聖寺)
今川義元は、永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで織田信長に討たれて首を取られました。今川の家臣たちは首のない胴体だけの義元の遺体を背負い、駿河へ退却する途中、大聖寺の境内にひとまず葬り、手水鉢をその上に墓印として置きました。
3年後、義元の嫡子氏真により三周忌が営まれ宝塔が建てられました。
歩行距離 :  280m
所要時間 :   3分
八幡社

八幡社
奈良時代、三河国に大きな飢えきんが発生したときに、ときの国司が住民の心のすさぶことを憂い、社殿を建て仁徳天皇を祭ったのが始まりといわれています。毎年4月7日、8日に近い土、日曜日には、奇祭と知られるうなごうじ祭(若葉祭)が行われ、山車、笹踊り、ヤンヨウガミが八幡社から天王社まで往復します。
歩行距離 :  640m
所要時間 :   8分
山本勘助の墓(長谷寺)
山本勘助の墓(長谷寺)
武田信玄の軍師として知られる山本勘助は、この寺の念宗和尚と親交があり、信玄に召し抱えられたとき遺髪を和尚に託しました。永禄4年(1561)、勘助が川中島の合戦で戦死した後、その死を悼み遺髪を埋めて建立したのが、五輪の墓です。また、長谷寺には、勘助の守護神であったとされる木造摩利支天尊像も安置されています。
歩行距離 :  500m
所要時間 :   6分
牧野成定公廟

牧野成定公廟
牧野成定は、牧野保成の後をうけて第2代牛久保城主となり、このころ今川方から徳川方に従うようになりました。永禄8年(1565)、家康が吉田城を攻めた際、成定は酒井忠次とともに今川方の説得につとめ、無血開城させるという武功をたて、家康の信任を得ました。墓碑は貞享元年(1684)、成定の曾孫により建てられました。
歩行距離 :  420m
所要時間 :   5分
善光庵
善光庵
境内の広場南側には324体の石仏が7段の角錐状に並べられています。東側には石造三重塔、宝篋印塔、無縫塔、石塔が順に並んでいます。現在の庵は昭和48年に再建されたもので、庵の中には、江戸時代に造られたといわれる青銅製の弥勒菩薩の仏頭が安置されています。この仏頭は、市の文化財に指定されています。
歩行距離 :  780m
所要時間 :   9分
牛久保のナギ(熊野神社)
牛久保のナギ(熊野神社)
熊野神社は戦国時代に牛久保城を築いた牧野氏が深く尊崇した神社で、JR飯田線南側境内のナギの巨木は幹の周り3.5m、高さ20mもあります。
ナギは、マキ科に属する暖地性の植物で、本州西部、四国、九州の山中に自生しています。
この地方でこれほど大きく繁茂するのは珍しく昭和13年、国の天然記念物に指定されています。
                            熊野神社詳細
歩行距離 :  460m
所要時間 :   6分
牛久保城跡
牛久保城跡
享禄2年(1529)、今橋城主牧野信成の命を受けた一色城主牧野成勝により築城されました。扇状台地の端に造られた平城で、南は下郷を一望でき、北には二重の堀をめぐらし、城を取り囲むように城下町がつくられました。元禄13年(1700)に廃場となり、当時の城の姿をとどめる遺跡は残っていません。
歩行距離 :  120m
所要時間 :   1分





豊川市観光協会ホームページへ牛久保のまちコーストップへ
Copyright (C)2010 豊川市観光協会 All rights reserved.