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本宮は、宮路山頂近くに、拝殿は山麓にあります。
宇治川の先陣争いを描いた絵馬があり市の指定文化財に指定されています。
毎年8月の第3土・日曜に行われる雨乞い祭りには、歌舞伎行列や山車などが旧赤坂宿の街中を練り歩きます。
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由緒
宮路山の麓の音羽町には日本武尊の東征のとき、その皇子の建貝児王(たてがいこのおおきみ:第3子)をこの地に封ぜられたといいます。
これが宮道別(みやじわけ)の祖であり、その子宮道宿禰速麿は「穂」の県主になり、その子孫が建貝児王を祭ったのが宮路山の山頂と麓にある宮道天神社の起源です。
宮路山の名が歴史に出てくるのは、大宝2年(702年)持統上皇が三河に巡行し、その最中に大宝律令が公布され、穂の国は三川(西三河)と統合され、三河の国となりました。
壬申の乱(672年)の時、持統上皇の子、草壁皇子が宮路山山頂近くで守備にあたり、皇子は宮道天神社の祭神となっています。
宮水
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本殿に向かって右側に湧いています。以前より水が滲みていたのは知られていましたが、宝物殿増築の際、多量に湧き出しました。
その量は、以前よりも少なくはなりましたが、現在でも、その水を飲み水として求めて来られる人も多くいます。
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