豊川海軍工廠では、その規模からも分かるように大量の人々が兵器生産に従事していました。現在確認できる資料に基づいて従業員数を明らかにするのは難しいですが、最盛期にはおおよそ5万人以上の人々が交代で働いていたと推定され、職員や工員以外に微用工員(女子挺身隊を含む)や動員学徒のように強制的に動員された人々も多くいました。
工廠での仕事は、「産業戦士」と言われるように厳しくつらいもので、寄宿舎住まいの微用工員や動員学徒などは、日常生活の全てにわたって、軍隊並みの規律正しい生活をしていました。
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職 員 |
廠長(中将) |
1名 |
部長(少将・大佐) |
9名 |
主任(佐官級) |
40名 |
係官(尉官級) |
550名 |
係員(判任官・書記・技手) |
100名 |
工 員 |
工長(下士官)、工手、職手、一等工員、二等工員 |
10,000名 |
微用工員 |
微用工、女子挺身隊、朝鮮人微用工 |
40,000名 |
動員学徒 |
大学、高専、師範、中学校、男子実業学校、
高等女、女子実業学校、国民学校高等科 |
6,000名 |
合計 |
56,700名 |
※上表は、八七会発行『豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場』より引用した資料ですが、現在も実数は不明です。
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